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大阪家庭裁判所 昭和51年(家)1849号 審判

申立人 秋田泰夫(仮名)

相手方 沢井良子(仮名)

主文

事件本人の親権者を父である申立人と指定する。

理由

1  申立人は主文同旨の審判を求め、事件本人は昭和五〇年一一月七日申立人と相手方との間に婚姻外でうまれた子であるが、申立人は昭和五一年四月二四日以降事件本人を監護養育し、同年七月九日認知届を了したものであるところ、事件本人の親権者として申立人が適格であると思料するので本申立てにおよぶ、と申立ての実情を述べた。

2  家庭裁判所調査官前田忠彦の親権者指定事件調査報告書、当庁昭和五一年(家イ)第一五三四号子の引渡申立事件記録中の同調査官の子の引渡事件調査報告書、申立人及び相手方の各戸籍謄本、申立人・相手方・中山隆・秋田ミチ子に対する各審問の結果、その他本件記録中にあらわれた各資料を総合すると次の事実を認めることができる。

(1)  本件紛争の経緯と実情

(ア)  申立人は昭和三八年一〇月二二日妻ミチ子(昭和一六年三月一六日生)と婚姻し、同女との間に長女靖代(同三九年八月四日生)、長男昌則(同四一年一二月九日生)、二女佳子(同四五年一月二四日生)を儲けているが、同四九年九月頃、当時相手方がホステスをしていた大阪市内のクラブへ客として遊びにいつて相手方と知り合い、急速に親しくなつて同五〇年一月から同棲するにいたつた。同棲当初、相手方は申立人に妻子のあることは知らなかつたが、同棲後間もなくわかつたものの、申立人が相手方に対し、近いうちに必ず妻と離婚するといつていたことを信じて同棲を続けていたものである。同棲後相手方はクラブ勤めをやめて申立人から生活費をもらつて生活しているうち妊娠し、同五〇年一一月七日○○市内の産院で事件本人を分娩した。申立人は事件本人の名前を自らつけたが、相手方の認知の要求に対しては、認知をすれば戸籍に載るので末子が小学校に入学するまでは具合が悪いので入学後にして欲しい、といつていたものの、末子が同五一年四月に入学してのちは、妻と離婚することが決つているから離婚してからにして欲しい、などといい、言を左右にして認知の要求には応じようとしなかつた。相手方は申立人のそのような態度に焦燥と不安を抱き、育児疲れも重つて精神的に動揺をきたし、同五〇年一二月一五日自殺を決意して家出し、六甲山中をさまよつたこと、同五一年二月事件本人とともにガス自殺をはかつたこと、などがあつた。

(イ)  申立人は、昭和五一年四月八日末子の入学式があるため帰宅してのちは相手方宅に戻らず、同棲は解消した。しかしそれ以後も当事者双方の間で事件本人の養育等につき話し合いが行われていたが、同年四月二四日、申立人が自動車で相手方宅を訪れ事件本人の養育について話し合ううち、大阪府○○郡××町に住んでいる申立人の実母に事件本人の養育を託することとし、同所へ赴いたが実母が不在であつたため再び相手方宅に戻つた。そして自動車内で更に話し合ううちに口論となり、興奮した申立人が相手方の顔面を殴打し、別れるなら事件本人は申立人が大事に育てていくという意向を示したので、相手方は、申立人がそこまでいうのなら養育の苦労がわかるだろう、しかしどうせ困ることがわかりきつているので返しにくるだろうと思い、また殴打されたことなどから冷静さを欠き、十分に考えをめぐらすこともないまま事件本人を申立人に渡したものである。

(ウ)  同日から申立人は肩書住所において事件本人の養育を始めた。申立人の妻ミチ子は当初は冷淡な態度をとつていたが、申立人が事件本人を自ら世話しているのをみかねて授乳などを代替するようになり、以後同女が事件本人の面倒をみて今日にいたつている。

(エ)  相手方は事件本人を申立人に渡した翌日、事件本人を引取るべく申立人宅に赴いたが、申立人が不在であつたため夜になつて電話をしたところ、応対にでたミチ子と口論となり、その後たびたび申立人宅に電話しても通じなくなつてしまつた。五月七日、事件本人が生後六ヵ月目の検診の日にあたつていたことから、相手方が申立人宅に電話したが通じなかつたので直接申立人宅に赴いたところ、事件本人はミチ子に連れられて外出し、その帰宅を待つうちに相手方は興奮して「やすえを返せ」と叫び、申立人宅の門前にある砂利を家にむかつてまきちらし、更にちようどその時学校から帰つてきた申立人の末子佳子を抱きかかえ、事件本人と引き換えに渡すというなどの行動にでたため、申立人が警察官を呼び、申立人及び相手方ともに××警察署に出頭し、警察官の助言をえて当庁に家事相談に来庁し、結局相手方から申立人に対して子の引渡の調停を申立てるにいたつた(当庁昭和五一年(家イ)第一五三四号子の引渡申立事件)。

(オ)  同事件は調査官による調査をへたうえ、六月九日、同月一八日、七月二日の三回にわたつて調停が行われたが、当事者双方間の感情的対立が激しく、いずれも自らが養育するといつて譲らず、七月二日不成立として事件は打ち切られた。その後相手方は申立人に対し、事件本人の引渡を求めて大阪地方裁判所に対して人身保護請求の訴を提起し、同訴訟は現在係属中である。その間七月九日、申立人は事件本人の認知の届出をし、同日本申立てにおよんだものである。

(2)  当事者双方の現状

(ア)  申立人について。

申立人は現在肩書住所において妻ミチ子、長女靖代、長男昌則、二女佳子とともに生活している。住所地には約四〇〇坪の借地上にプレハブ建築が三棟あり、一棟は事務所、一棟は倉庫、一棟は住居であるが、住居は二階建で、階下は四部屋あつて家族の居室にあてられ、階上には申立人の行つている事業の従業員が四名住み込んでいる。場所は○○電車××駅と地下鉄○○公園駅とのほぼ中間に位置し、駅からは遠いが閑静なところにある。

申立人は建築コンクリート圧送を業とする秋田チャレンジャーを自ら経営していたが、昭和五〇年一二月約三、〇〇〇万円の負債を抱えて倒産した。その後同業者である××建設との間に再建に関する契約が締結され、同建設に秋田チャレンジャーの債務を肩代りしてもらい、申立人は同建設の下で働いて月収は手取り約二五万円である。そのほか、亡父の遺産(山林約二町歩、畑約一〇〇坪、宅地約一五〇坪、貸家五軒等)の大部分を相続することになつている。

申立人は過去に相手方との関係も含めて数回にわたり婚姻外の女性関係を持ち、ことに相手方との間においてはかなりの期間同棲するまでになつていたのであつて、女性関係において節操を欠く面があつたものであり、また性格的には自己中心的、他罰的傾向が強く、やや問題のある人物といわざるをえない。しかし、事件本人には愛情を持つており、事件本人との関係では格別の問題は認められない。

上記のように事件本人の現実の養育はミチ子によつてなされているのであるが、ミチ子は当初は事件本人についてはただ預つているというだけの気持ちしか持たず、調停中においても相手方に対して引渡した方がよいという気持ちを抱いていたりして動揺をくり返していたのであるが、申立人が事件本人を相手方に返す気持ちがないことを知つたこと、事件本人が自己になつき、自らもまた事件本人に愛情をおぼえるようになつたこと、三人の実子が事件本人に親愛の情を抱き、このまま事件本人を育てていつても家庭が混乱することはないと思うようになつたことなどから、現在においてはこのまま事件本人を育て、申立人が親権者として指定されれば事件本人と養子縁組し、名実ともに自らの子として育てていきたいという意志を抱いている。事件本人の養育の状況については、ミチ子には既に三人の実子の養育経験があり、とりたてて指摘しなければならない難点は見い出せない。ミチ子自身には特段の性格上の偏倚、性行上の問題点はなく、事件本人は同女との安定した関係の中で順調な成長をとげていることが認められる。

以上要するに、事件本人をめぐる申立人側の生活環境、経済的状況、家庭的状況などについて格別の問題はないものと思料される。

(イ)  相手方について。

相手方は昭和四三年九月頃から○○市で高校時代の同級生中山隆(昭和二一年九月二九日生)と同棲を始め、同四六年頃同人と大阪市にきて同棲を続けていた。大阪市にきて以後、相手方はホステスとして働き、中山はトラック運転手をしていたが、中山は相手方の正式な結婚をして欲しいという要求にもかかわらず明確な態度を示さず、婚姻届を出さないまま事実上の夫婦関係を続けていたものである。そのような中山の態度に立腹していた相手方は、前叙のように昭和四九年一〇月から申立人と急速に親しくなり、結局中山と別れて申立人と同棲するようになつた。しかし既に述べた経過によつて申立人との同棲が失敗してのち、相手方は中山に自らの非を詑び、それを容れた同人と再び昭和五一年六月から肩書住所において同棲を始めるようになつた。

相手方の肩書住所のマンションは八畳、四・五畳、ダイニングキッチンからなり、家賃は三万九、〇〇〇円である。

相手方は現在無職であり、みるべき財産もないが、相手方の内縁の夫である上記中山はトラック運転手として働き、月収は手取り約一五万円であり、他に資産として株式(×××電機のもの二〇〇〇株、中山によれば約二〇〇万円位に売れるだろうという。)、若干の預金、宅地・建物(○○市の近くにあり、現在地に賃貸中であるという。)を有している。

相手方は以前中山と同棲中、同人とささいなことから口論した挙句ナイフで自己の手首を切りつけ自殺を図つたことがあるほか、叙上のように本件紛争の過程においても自殺を図つたことがあり、更に興奮すると前後の見境いなく激しい行動をとる傾向があつて、過感的で感情の起伏が激しい性格の持ち主であることが窺え、申立人同様やや問題のある人物といわざるをえない。現在は中山と同棲し、同人の庇護の下に生活して一応の安定を示しているが、中山は相手方と正式に結婚することについては従前の経緯もあつて今一つ直ちに踏み切れない状態にあり、中山と相手方との関係は確固としたものとは必ずしもいいきれないものである。ただ中山は相手方に対しては十分の愛情を持つており、相手方が事件本人を引取つたときには、相手方が事件本人を育てていく姿をみれば自然に事件本人に対しても愛情を抱くにいたるのではないか、と述べ、相手方が事件本人を養育していくことについて協力する態度を示している。同人には格別の性格上の偏倚は認められず、性行上も問題とすべき点は見い出せない。

以上要するに、事件本人の養育環境として相手方側に格別の問題点が存在するものとはいい難い。上記認定に反する当事者双方の主張、陳述はこれを措信しない。

3  親権者の決定

上記認定したところから明らかなように、当事者双方の事件本人に対する愛情はもとより、事件本人の監護に関する能力、環境の点において彼我の間に隔絶した差を見い出すことははなはだ困難な事案であるといわねばならないが、当裁判所は本件紛争の経緯と実情、事件本人の監護養育に関する当事者双方の諸事情並びに次の点をあわせ考慮して申立人を親権者と指定するのを相当と思料する。

すなわち、本件において特徴的なことは、申立人の妻ミチ子が夫の婚姻外の女性関係からできた子を誠意と愛情をもつて育て、現時点においては事件本人と同女との間に実親と同様の安定した関係が既に形成されていると認められることである。叙上のように、ミチ子は申立人と相手方との関係、ことに事件本人の出生を知るにおよんで精神的に苦悩し、一時は申立人との離婚も考えたようであるが、しかし動揺と紆余曲折の末に現時点においては事件本人を自らの手で育てていくことを決意しているのである。申立人及び相手方はともに、事件本人は自分の子であり自分が育てていきたい旨主張して譲らないのであるが、事件本人からみれば、出生以来今日にいたる過程において、安定した状態の下に生活を送りうるようになつたのは、ミチ子が事件本人を誠意をもつて育てるようになつてのちのことであると考えることは強ち不当な推測ではあるまいと思われる。申立人及び相手方は、調停の場において、訴訟の場において、更に審判の場において、いずれも自らの行状は不問に付して専ら相手の行状に対し非難、中傷をあびせるのみで、事件本人を育てることを余儀なくされたミチ子の心情に深く思いを致すことがないようである。当裁判所としては、そのような当事者双方の姿勢は、双方の自己中心的で他を思いやる心に乏しい性格を示しているものとみざるをえないのであるが、当事者双方はその点についての内省なくして、親として子に相対することはできないのではあるまいか。それはともかくとして、現時点においては、叙上のように事件本人とミチ子との間に実親と同様の関係が形成されているものであるが、そのような関係が将来にわたつて継続していくかどうかについては、いくつかの不確定な要素が存在しないわけではない。例えば申立人の経済的状態が悪化しないかどうか、申立人がまたしても他女と関係をもち、夫婦仲が悪化して、それが事件本人に悪影響をおよぼすようにならないかどうか、ミチ子の実子と事件本人との関係が現在同様良好な状態であり続けうるかどうか、などが考えられよう。しかしながら、それらのことは現時点においてはいずれも想像の域を出ず、過大に評価することは正当であるとはいい難いものといわねばならない。当裁判所としては、現時点において、事件本人にとつて誰の下にあることが最も安定した状態にあるのかということを考えた場合、結局ミチ子の下において養育させることが事件本人の安定、ひいては事件本人の健全な成長発達に大いに資するものであると判断する。

以上述べたように、本件においては、事件本人は昭和五一年四月二四日以降申立人の妻ミチ子及び申立人の下で監護養育され、ミチ子との間に実親と同様の安定した関係が形成されているのであつて、その状態を尊重することが事件本人の健全な成長発達にとつて重要なことと考える。そして本件紛争の経緯と実情、当事者双方の状況、事件本人の養育に関する状況など諸般の事情を総合考慮すると、結局申立人を親権者に指定することが事件本人の福祉にかなうものと思料する。

4  結論

以上の次第で本件申立てはその理由があるからこれを認容することとし、家事審判法九条一項乙類七号、民法八一九条五項により主文のとおり審判する。

(家事審判官 出口治男)

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